アジア・太平洋戦争 伝えられない戦争
http://www.youtube.com/watch?v=oUzamWN8z2c
動画です。今日はアニメじゃないですよ。『Don't believe the Hype ! by DELI』
承知の通り12月8日は太平洋戦争開戦の日です。この日に真珠湾攻撃が行われたのですね…と思っていたら、そうは簡単な話ではないのでした。
ふ~ん。世の中にはいろんな知らない出来事があるのですなぁ(*_*)
(引用はじめ)
コタ・バルから始まった。(プレカリアート的日常)
http://ameblo.jp/fengben/entry-11105028215.html
次に昨夜録画した「報道の魂:コタ・バル-伝えられなかった戦争」を見た。佐賀県に住む武田義雄さんは戦争が始まった当時久留米市の歩兵部隊、通称「菊兵団」と言われる(国にとって)優秀な部隊に所属していた。そして初めて戦争を体験したのが1941年12月8日午前2時15分マレー半島コタ・バル、パク・アマット海岸への敵前上陸だった。これがアジア太平洋戦争開戦となる。その1時間後真珠湾に奇襲攻撃を敢行した。
パク・アマット海岸には三列の鉄条網があり地雷が埋められていた。そこへ5300人の日本兵が上陸し、320人が死亡した。コタ・バルにはイギリス軍の飛行場があった。日本の戦略を読んでいたのだ。そこで日本は上陸に成功してしまう。
それから、マレーシア人には危害を加えない代わりに強制労働を強いた。また中国系住民が多く住んでいたため数万人を虐殺した。
当時コタ・バルでの戦いは、日本の国民学校の教科書に書かれていた。しかし、戦後コタ・バルの戦いは墨で塗り潰されてしまう。GHQにアジア侵略を思わせる「大東亜戦争」という言葉の使用を禁止され、アメリカを攻撃した象徴として「(真珠湾攻撃から始まった)太平洋戦争」という言葉に書き換えられてしまう。コタ・バルの敵前上陸は教科書から、また歴史から消されてしまった。
武田さんはコタ・バルで右腕を失った。まだ右腕の先がビリビリ痛むそうだ。
私は「コタ・バル」を今日まで知らなかった。本当に真珠湾から始まったと思っていた。何故教科書に載せないのだろう。教科書に載せていなくても何故教員が真実を調べて教えてくれないのだろうか。
(引用ここまで)
「報道の魂」というテレビ番組は見ていませんが、内容は伝わりました。真珠湾攻撃以前に、日本軍による攻撃が存在していたなんて知らなかったなぁ。
コタ・バル…。そこでイギリス軍との戦闘があり、その過程で中国系住民への虐殺が行われていたとは(@_@;)
戦後このエピソードは、いわば「黒歴史」となって記憶の底に封印されたのでした。
「アジア・太平洋戦争」が「太平洋戦争」になっていく過程には後ろ暗い過去を消したい日本人と、冷戦期アメリカの世界戦略とが複雑に絡み合ってきたのでしょう(_ _)
少し詳しく調べてみたら、ああ、あった。これですね(^^♪
(引用はじめ)
マレー作戦(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E4%BD%9C%E6%88%A6
マレー作戦(マレーさくせん, 馬来作戦, 日本側作戦名「E作戦」)は、太平洋戦争(大東亜戦争)序盤における日本軍のイギリス領マレーおよびシンガポールへの進攻作戦である。日本の対英米開戦後の最初の作戦である。
1941年12月8日にマレー半島北端に奇襲上陸した日本軍は、イギリス軍と戦闘を交えながら55日間で1,100キロを進撃し、1942年1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入した。これは世界の戦史上まれに見る快進撃であった。作戦は大本営の期待を上回る成功を収め、日本軍の南方作戦は順調なスタートを切った。
作戦開始時刻
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E4%BD%9C%E6%88%A6#.E4.BD.9C.E6.88.A6.E9.96.8B.E5.A7.8B.E6.99.82.E5.88.BB
1941年12月8日午前1時30分(日本時間)、佗美浩少将率いる第18師団佗美支隊がマレー半島北端のコタバルへ上陸作戦を開始した。アメリカの真珠湾攻撃に先立つこと1時間20分、太平洋戦争はこの時間に開始された。この上陸作戦自体は、駐米日本大使館の失態による遅延により結果的に開戦後の宣戦布告となってしまった対米宣戦布告予定時間より前に開始されており、開戦前に宣戦布告を行う予定であった対米開戦とは異なり、日本軍が宣戦布告無しで対英開戦することは予定通りであった。この時の日本軍の開戦日の暗号は「ヒノデハヤマガタ」である。
なお開戦直前の12月7日午後には、マレー作戦に参加する上陸部隊を乗せた輸送船団の上空護衛を行っていた日本軍の97式戦闘機が、哨戒中のイギリス海軍のPBYカタリナを撃墜した。この撃墜により日本海軍艦艇の来襲の報告がなされなかったことから、その後の上陸作戦を容易にした。なおこれは同戦争における最初の連合国軍の損失であった。
(引用ここまで)
マレー作戦ですか。それなら聞いたことがある。有名な「イエスかノーか」の逸話、司令官・山下奉文が敵将を恫喝したとされる戦場です。(ただし伝説で史実ではない)
(引用はじめ)
シンガポール華僑虐殺事件(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%8F%AF%E5%83%91%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
シンガポール華僑虐殺事件は、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年(昭和17年)2月に日本軍がシンガポールの戦いの際、約1ヶ月にわたって「親連合国」と目された一部の中国系住民(華人、華僑)を殺害したとされる事件。中国語では粛清 (sook ching) と呼ぶ。日本でも「華僑粛清」ということがある。またシンガポール大検証などともいう。
概要
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%8F%AF%E5%83%91%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E6.A6.82.E8.A6.81
具体的には、日本軍は各所に検問所を設け、18歳~50歳の成年男子を漏れなく取り締まり、以下に挙げられる者を好ましからざる分子として重点的に検証をおこなったうえ抗日分子を処刑したとされる。
・日本軍及び日系住民に対しゲリラ活動をおこなった者
・国民政府への財政援助に関わったないし実際に援助した者
・東南アジアを拠点に抗日活動を続けていた陳嘉庚の支持者ないし関係者
・レジスタンス関係者・支持者
・イギリス植民地時代の公務員・法曹・立法会議員
・黒社会など秘密組織や反社会的組織に関わっていた者
・日中戦争以後に移民してきた者
・海南省出身者(日本軍は多くの共産主義活動家が紛れ込んでいると見ていた)
・取り締まりに抵抗した者や逃亡しようとした者
東京裁判においては「6000人の華僑が殺害された」とされたが、辻政信の起案にかかる作戦計画も含め、全体像など不明瞭な点が多い。日本の国会では何度もシンガポール華僑虐殺事件について論議されているが、これらの論議はすべて、辻が失踪し国会からいなくなってからの論議になっている。実際に虐殺を目撃した堀昌雄の証言などがあるが、堀の政治的立場に鑑みて偽証であるとする意見もある。
(引用ここまで)
何でもありですな。こんなゆるゆるな基準で「虐殺」したら、たしかに6000人くらいは殺しそうだ(@_@;)
断片的な知識はあったけど、まとまった形では知りませんでした。村山富市元首相が日本の首相としては初めて献花しました。そんな報道を見た記憶はあります。
宣戦布告なしの奇襲は国際法違反で、その時点で誉めた物ではありませんが、緒戦で虐殺事件を起こしたことは旧軍の体質を示す格好の事例と言ってよいでしょう。
日本はアジアに対して加害者であるという記憶が風化されそうなこの御時世に、改めて知っておきたい情報でした(_ _)
日の出は派手の日(ヒノデハハデノヒ)
拍手かノーか(最近少なめなので)
お粗末さまでした(^o^)