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「原発」バッシングなのか「障害者」バッシングなのか


http://www.youtube.com/watch?v=Uem252duPaU&feature=related
今日も動画だ。アニメがおもろい。『【HD】魔神英雄伝ワタル2~超激闘編~ -Fight!-』

原発について考えだすと、どうしても難しい問題に突き当たってしまうのが放射能汚染による「風評被害」の問題。
風評被害は根本原因を作った東京電力が全面補償すればいいというのは制度論としては正論ですが、人道問題としてそれで良いのかどうか(^_^;)
と、いうわけで、宗教学者の島薗進先生のTweetを御紹介。
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島薗進(@Shimazono )on Twitter
http://twitter.com/#!/Shimazono
http://twitter.com/#!/Shimazono/status/145677895229120515
1『中外日報』12/6は1面で全日本仏教会の宣言文「原子力発電によらない生き方」http://www.jbf.ne.jp/2011/12/post_214.html につき報道。「104加盟団体の総意」として採択と。3面では曹洞宗有道会大会につき「福島の阿部氏 原発の風評被害で訴え」「ケガレ観の究明を」と題して伝えている。
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http://twitter.com/#!/Shimazono/status/145678484407193601
2『中外日報』12/6曹洞宗は差別問題で長期間、困難な取り組みを続けてきた歴史がある。なお有道会は曹洞宗僧侶の2つある有力な団体の一つ。「福島県有道会副幹事長の阿部光裕・常円寺(福島市)住職は原発事故の理不尽さに怒りで声を震わせ、風評被害の背景にある日本人の「ケガレ観」を究明」
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http://twitter.com/#!/Shimazono/status/145678680553824257
3『中外日報』12/6「しなければならないと強調した」「阿部氏は「原発をは福島にとって生きるか死ぬかの問題だ」と涙ながらに訴え、農作物の安全性をめぐって「福島では『大丈夫だ』という人と『危険だ』という人が毎日けんかしている。子どもたちは戸外で『やばい、被ばくした』、高校生の」
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http://twitter.com/#!/Shimazono/status/145679374056824832
4『中外日報』12/6「女子は『もう結婚できない』と言う。常に対立軸の中に生き、見えないものと闘っている」と吐露した」「深刻な風評被害を「日本古来のケガレ観がいっぺんに噴き出した」ものと捉え…「ケガレ」を宗派主催の人権学習などのテーマにすることを提言した」。ケガレの理解は難しい


文中の「阿部光裕・常円寺(福島市)住職」というのは以前紹介したこの人のことだと思います。福島市内で除染の支援をしている僧侶です。
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身を捨てるは僧侶の務め、恥を捨てるは政治家の…(雪裏の梅花)
http://seturibaika.blog72.fc2.com/blog-entry-588.html

ここで指摘されていることは原発がアブナイという時、その言い方がともすると現地に残らざるを得ない人々への圧力となってしまうこと。
放射能の危険性を訴えれば訴えるほど、やむを得ず現地に残っている人たちに対する偏見を助長してしまうのではないかという問題です(+_+)

いちおう言っておきますが、程度の差はあれ明らかに実害があるだろう放射能と、明らかに過去の迷信の名残である「ケガレ」概念を同列に論じるのは抵抗があります。
その意味で、ここで紹介されている阿部氏の(?)見解には賛同できない。そこはハッキリしておきます(-_-メ)
ですが福島県内にあえて残っている人や、生活している人への支援はしなくて良いのか。特別な支援はなくていいという人もいますが、なるほど確かに人権問題です。

そこで島薗先生は続けて、有る提言を紹介しています。これも微妙っていえば微妙な見解ですが、まず一つ。
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http://twitter.com/#!/Shimazono/status/145687398783791104
原発放射能汚染と差別の問題は重要。差別批判が放射能被害過小評価と連動しないように。差別も放射能被害過小評価も弱い立場の人を苦しめる。これについては差別と取り組んできた米津知子氏のすぐれた発言がある。http://www.soshiren.org/oshirase/data/yonezu.pdf 汚染被害と差別克服は二者択一でない。


ここで紹介されている発言とは下記のこれですが、結論から言えば内容はいささか稚拙。リンクするだけにとどめておきます。興味ある方は内容を確認下さい。
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「脱原発と、障害の『恐怖の象徴』からの解放――これは、同時にできるはず」(2011 年8 月10 日に会場で配った発言要旨を、少し手直ししたものです。 米津知子)
http://www.soshiren.org/oshirase/data/yonezu.pdf

「できるはず」とは言っていますが、「できた」とも「できる」とも言ってません。具体的な方法論は特に提示されていません。
分からないのでしょう。もっともそれはそうです。分かっていたらとっくに誰かが実践しています。雪どけ水がこんな記事を書くまでもない…!?

ようするにいま虐げられている「障害者」と、これから虐げられるのかもしれない「福島原発被曝者」が手を結んで、有るべき制度を提唱していく…そういう考えなのでしょう。
いわゆる「弱者同盟」という考え方ですな。確かに優れた理想論ではありますが、現実社会でそれが安易に可能とは考えない方がいい(+_+)

承知の通り「原発放射能汚染」と「差別」の問題が急にクローズアップされたのは群馬大学教授・早川由紀夫氏への「訓告」問題が契機です。
放射能汚染された農産物を(やむを得ず)生産する福島県の農業従事者を「オウム真理教」信者と同じだと形容し、その発言を群馬大学が訓告の対象としたのが、その経緯。
真面目な農家の方々をオウムと例えるなんてひどい…という感想は確かに多かった。ですがそんな単純な問題ではない。
オウムは確かに無差別テロを起こし、多くの人々を殺傷した恐るべき抑圧者ですが、それだけでは問題を理解できません。
オウムは現在「団体規制法」という非常に厳しい法律で監視対象となっています。
これは非常に厳しい法律で、憲法上許された国家の権限を越えた法律ではないかという指摘がなされています。
その場合、オウムは不当な弾圧を国家から受けている被抑圧者となります(@_@;)

また、死刑は残虐な刑罰だと思いますが、オウムの幹部信者には死刑判決が確定した人がたくさんいます。この場合も死刑判決を受けたオウム信者は「弱者」ということになるでしょう。
と、すれば福島原発被曝者は、被抑圧者として、あるいは弱者として、オウム真理教と手を結ばねばならないのでしょうか。
それはそうです。もしそうなればスッキリとします。ですが、それは無理な相談です。そんなことは要求する方が無茶というものです。
もし仮に「福島原発被曝者」と「障害者」が手を結んで、両者に住みよい社会を作って大多数の人が幸福に暮したとしましょう。
ですが、その世界はオウム信者が絶対的マイノリティとして辛酸をなめ続ける社会です。それって人権という観点からはオカシクない??(@_@;)
「汚染被害と差別克服は二者択一でない」というのは正論ですが、簡単ではないことも分かるでしょう。

むろん長期的な方向として、いま虐げられている人たちが協同していくことは大事です。ですがそれは長い年月を必要とするものです。出来るかどうかもハッキリしない。
にもかかわらず放射能汚染は、まさに時を味方として、しかも確実に人類に襲いかかってきます。これは二律背反的な問題と言えます。
協同して事に当たればいい…それは分かっているのです。しかし分かっていてもなかなか出来ないのも人間なのです。
分かっていても出来ないのはどうしてか…あるいは出来ないなら出来ないなりにどうにかしなければならないのです。仏教はこういうとき、どうしろと教えるのでしょうか…。

(おまけ)こういうTweetを見つけました(^_^;)
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☆sitidanka (@kekopyoko)on Twitter
http://twitter.com/#!/kekopyoko/status/145790352916348928
病気で中3二回目したときの思い出が青春してたので思い出すと止まらない~。「龍神丸!」て叫ぶと友達が「武装・烈火!」で「双炎斬ー!」「登龍剣ー!」とかしたなあ(笑)そう言えば図工で絵本作る課題でワタル本作ったりw先生に怒られなかったなあwみんなシティーハンターとかアキラとか話てた♪


結論はありませんが考えておくべき問題です。

差別断つベさ(サベツタツベサ)

双炎斬ってサムライトルーパーだったっけ(?_?)
お粗末さまでした(^o^)
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テーマ : 放射能汚染 - ジャンル : 政治・経済