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阿修羅とグローバリゼーション

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三面六臂の阿修羅といえば、その姿からネット社会の寓意に良く使われますが、今日は本物(?)の阿修羅の話。奈良興福寺にある国宝の阿修羅像の話です ( ⌒_⌒)人 ナムー

こんな話を唐突に始めたのは、鶴岡真弓著『阿修羅のジュエリー』(よりみちパン!セ)という本を読んだからなのですが、まあ今回は気楽に読んでください(^_^)

阿修羅といえば仏法守護神です。もとは諸天に害なす悪神だったと伝えられますが、釈迦仏の教えに帰依した後は仏教修行者の守護神に転じました。
その姿をもっともよく伝えるものが奈良興福寺にある国宝の阿修羅像。引き締まった口元に涼しげな目。かすかに眉間に寄るしわが荒神だったころの激しさをしのばせます。
赤銅色の肌と身にまとう粗末なお袈裟は、どこかストイックな修行者をほうふつとさせますね(^_^)
しかしこの姿は千年の月日を得て経年劣化をして出来たもの。もともとの阿修羅像はかなりゴージャスなものだったらしいのです。

前述『阿修羅のジュエリー』にはCGで再現した彩色が載っています。朱で塗られた肌に鮮やかな緑の衣。身を飾る黄金のアクセサリーは巧緻で繊細なつくりをしています。
それ自体がまるで可憐なジュエリーのよう。今のイメージとは全然違います。なぜこんな阿修羅像がつくられたのでしょうか…。
阿修羅はもともとペルシャに伝わる太陽神がそのモチーフだったとされています。ですから阿修羅の姿を伝える伝説には太陽神にふさわしい装飾が残されました。
異国から伝えられた仏教守護神に対して、日本における仏像制作者にはその姿を出来るだけ飾りたい欲求があったことでしょう。
できる限りの装飾をもって阿修羅像が飾られる、それも異国の美意識のもとで…という流れは当然のものだっただろうと思われます(^_^)
最初の阿修羅像は飾られた綺羅綺羅しいものだった…阿修羅像はその初め異国の情報をそのまま伝える「世界性」溢れるものだった…というのが著者鶴岡氏の主張です。

それはそれで結構。鶴岡氏は宝飾の研究家ですから余計にそういう気分が強いのでしょう。しかしそれでもやはり阿修羅の魅力はそれだけじゃないよな…と思います(-_-メ)
阿修羅像のあの表情。怒りと悲しみ、そして激しい情動を超越したところに生まれる静かな祈り…(@_@。
あの阿修羅像からは深い「精神性」を感じ得ます。それは復元した彩色でもはっきりと読み取れます。
こういうことではないでしょうか、かつて阿修羅像を見たものは、深い精神性は背景として、阿修羅像の異国情緒あふれる姿に遠く世界の果てを想像したことでしょう。
そして現在の私たちは阿修羅像の表情に深い精神性を感じるとともに、色あせた装飾からわずかな世界性を無意識のうちに感じ取る…。
広大な世界性と深淵な精神性、あの阿修羅像はその両者を兼ね備えた芸術品でもあるのです(^_^)

ひるがえれば奈良時代はシルクロードを通って日本から西洋までが一直線につながるグローバルな時代でした。
規模が今とは比較にならないとはいえグローバリゼーションが問題になっていたわけです。奈良時代のグローバリゼーションの結晶が奈良興福寺の阿修羅像というわけ(^_^)
そこには千年の月日を越えて受容される「世界性」と「精神性」の二つの要素が込められていたのでした。
グローバリゼーション…今ではすっかり「新自由主義」と同義に使われ、拝金主義にまみれたものとして語られることのみ多くなってきています。
雪どけ水もそんな風に使っていますが、本来は大地のglobeからきた言葉。拝金主義はその中に含まれてはいなくて、むしろ負の側面と総括されるべきものでしょう。

世界性と精神性。自分たちの文明を絶対視するのではなく、いろいろな文化の価値を認めたうえで、かけがえのない自分だけの願いを持つ…そんな意味かと思っています(^_^)

変化する ことの激しき 凍ゆるむ

光は陰であり、陰は光である…(^_^)
お粗末さまでした(^o^)
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テーマ : 世界恒久平和を実現しよう - ジャンル : 政治・経済

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