「償うとは何か?」 死刑について

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多くの人に興味を持ってもらえるテーマか分かりませんけれども「死刑」について考えてみようと思います(>_<)
というのは今日たまたま印象に残る1冊の本を読んだため。
森達也・藤井誠二共著『死刑のある国ニッポン』(金曜日)です。死刑反対論者の森達也氏と死刑存置というか死刑廃止に慎重な立場の藤井誠二氏の激突対論集です。

といっても何事も中途半端に投げ出すのが本ブログの得意技です。印象に残った部分を書きだしてみます。
あくまでBLOG主にとって印象的だった部分です。必ずしもこの本の中心的テーマとは言えないかもしれませんのでご注意を(^_^;)

(引用はじめ)
藤井(略)被害者遺族がいちばん何を望むかというと、それは死者が生き返ることですよ。(略)人が人に償えるのかという命題も死刑存廃論のイデオロギー対立の中で見落とされてきたというか、不可視の領域の一つだったと思います。
森 存置論者は命をもって償えという、廃止論者は生かして償わせろという。ならば僕は言う。どっちも間違いです。なぜなら命は戻らない。殺したら償いなどできない。(略)

―第8章「死刑を望む感情」は悪か?―(引用ここまで)

もう1冊補足として雨宮処凛著『雨宮処凛の闘争ダイアリー』(集英社)からです。

(引用はじめ)
「償うとは何か」。森達也さんと話しながら、見沢さんの記憶ばかりがフラッシュバックした。
 人を殺した見沢さんは、12年の刑を満期で終えた。それは「償った」ことになるのだろうか?(略)「償うとは何か」というテーマで話して、初めて気づいた。私は「人を殺してしまった人に、なんて言っていいのかわからなかった」のだ。

―『天皇ごっこ』と死刑、の巻―(引用ここまで)

文中の「見沢さん」とは作家の見沢知廉氏のこと。
10代から左・右両翼の活動にかかわりスパイ粛清事件を起こして逮捕、12年の刑期を送るなかで執筆。作家となるも2005年マンションから飛び降り自殺をしています(T_T)
雨宮処凛さんにとっては「先生」でした。

死刑について重要なのは「加害」の問題を内に深く抱え込んでいることです。
冤罪や犯罪抑止も重要な観点ですが、それは一般の人には遠い世界かもしれません。
しかし「加害」は違います。なぜなら普通に生活する限り、誰でも簡単に「加害者」に転換してしまうからです。
だって、そうでしょう?例えば車を運転するとき、ハンドルを切りそこなうか、一瞬脇見をするかで一瞬のうちに加害者になってしまうかもしれませんよ(@_@;)
誤って無実の人に「死刑」を宣告した裁判員も「加害者」です。

だからと言って加害者を簡単に免責してしまうこともできません。
加害者が簡単に免責されてしまうような世の中なら、極端な話、侵略戦争だってアリになってしまいますからね(+_+)

どうすればいいのか、本当に難しいです。ただ誰でも加害者になり得るという気持ちを持ち続けることで、ある種の激しい感情から自分をブロックできるかもしれません。
少なくとも両書からそういう希望を持つことはできました(^^)

暦を見たら22日は一遍上人忌なのでした。一遍上人は死刑についてはどう説いておられるのでしょうか…(^_^)

償えぬ 罪あり人は 一遍忌

やっぱり中途半端な結論ですね…今日もお粗末さまでした(^o^)
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テーマ : 裁判 - ジャンル : 政治・経済

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