「死刑のある国ニッポン」 死刑について(2)

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昨日の記事がさすがに中途半端に終わりすぎたと思うので、今日はその続きです。
もっともちゃんと書けるかどうか、やっぱり自信がありません…(T_T)

死刑について書こうとして難しいのは、何か重々しい感情のわだかまりのようなものが、どうしても自分自身に付きまとうことです(>_<)
被害者を思って…、というのとは違うようです。被害者のことを思うのは当然だと思いますが、そればかりで物事など論じられるものではありません。
巷に流布する「被害者のことを思ったら死刑以外あり得ない」などというのは俗論にすぎません。
警察・司法は公正だったか?加害者への同情の余地は本当にないのか?一般市民に正しい情報が与えられているか?考えるべき視点など数えきれないほどあるのです(>_<)

では何が問題なのかといえば、それはほかならぬBLOG主自身が「加害者とどう接したらいいのか分からない」ということだと思います。
雨宮処凛さんも言っていましたね「人を殺してしまった人に、なんて言っていいのかわからなかった」と(@_@。

ちょっと話は飛躍しますが、こと近代において、日本がアジア諸国に対して加害者の立場にいたことを否定する人は少ないでしょう。
否定する人がいないとは申しません。ただし「少ない」でしょう(-_-メ)
さらに言えば当時の政治指導者たちは、自国民に対してまでも、結果的には加害者でした。
そしてその「加害者」たちは日本国民の手では裁かれていません。
生き残って後に首相になる岸信介氏のような人まで出ました(@_@;)
多くの国民が反対の意思を表明したのにもかかわらず…(@_@。

無論「戦犯」の「死刑」だって無条件で称揚すべきではないでしょう(ーー゛)
大事なのは、当時もその後も、「加害者」はどう「償い」をすれば「許し」を得られるのかという国民の物語を、どうやら永久に逸してしまったことです。
だからいまだに日本社会は、加害者に正面から向き合えない…「ええい面倒だ、死刑にしちゃえ…」(+_+)

死刑のある国はもはや少数派です。先進国では日本とアメリカのみとされます。「死刑のある国ニッポン」は世界的に見て珍しい存在になってしまったのです。
くどいですが、だからと言って加害者を簡単には免責できません。免責する道を選んだら、さしたる責任も感じないまま、日本は再び侵略戦争を始めるかもしれません。

ここ数日の思索(もどき)で、BLOG主はそれでも「死刑」に反対する方を選び始めています。
人は誰でも簡単に加害者に転換してしまいます。いえ生き物を殺し奪い食う限り、BLOG主たちは永遠に加害者であることを逃れられません。
だからこそ困難を承知で「許し」の道を探さなければならないのだと思います(+_+)
作家の見沢知廉が、左右両翼で葛藤し、自身と国家の加害性を追いつめた挙句、ついには自分を滅ぼすことで許しを得ようとした悲しい轍を、もう二度と踏んではいけません。
それが不十分ながらもBLOG主が出した、仮の結論です。でもまた変わるかもしれません。その時はまた書きます(^_^;)

今日は都々逸を作ってみました。先輩ブログ「たかしズム」さまの薦めです。初心者なのでだんだん上手くなっていけば良いと思います(^_^)

日の丸を 切った貼ったと 総理が怒る
 雇用切られて 民は泣く


重い長文を読んでいただきありがとうございます。今日もお粗末さまでした(^o^)
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テーマ : 裁判 - ジャンル : 政治・経済

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